農業を知ろう

それでも地域産品を買いますか?    01.07.05

資本主義経済とは、価格差により利潤を追求することです。
安い労働力、安い原料を使って、高い値段で売る。
効率を上げて安く生み出し高く提供する
高い技術で、付加価値の高い物やサービスを安く生み出し提供する。

よりよい物、サービスを安く生み出すために努力しています。

農業は、経済活動ではないのでしょうか?
農業は、公共事業に近いのでしょうか。

今の地域農業の役割は、この二つです。
1.環境や、文化や、安らぎ、心の豊かさ、安心を、守る維持すること。
2.よい物を安く作って、売ること。

それは、物の価値と、目に見えない公共の価値です。
後者は、農業が存在することによって発生する価値です。
日本の農産物には、この二つの価値が乗っかっています。

この目に見えない公共の価値の値段(農業の存在価値)が、
高すぎるのか正当なのか、誰もが一番疑問に思う点でしょう。

経済論理では、公共の価値は、切り離して考えることになります。

いっそそこを税金にしてしまう。
その税金で、農産物の価格を補助するか、
農業をあきらめて、直接、環境、心の豊かさ、のために
税金で新たな仕組みをつくるか。
どちらにしても、いくらつぎ込んでも成果が出ない可能性があります。

農家世帯率が5割であった50年前は、5割の人が、
その公共の価値を、何も考えることなく自ら負担実践していました。
しかし、今や農家世帯率4.5%です。
その4.5%の人がその他の人にその価値を売ることになります。
今では、少数となった農業者が、農産物の値段が高い理由は、
公共の価値を負担してもらうためなんですと、
説明しなくてはならなくなりました。

工業国として豊かになった分、別の負担が必要なのかも知れません。
負担できない人は、自給するということになるのでしょうか。
本来は、自給することが、一番公平で、正しい方向だと思います。

でも、経済論理による分業化は、止まりません。
そのうえ、このグローバルな時代には、
物の値段に、目に見えない公共の価値を乗っけて流通することは
不可能です。

人は、欲望の動物です。
直接見返りが実感できないことにお金は使いません。

環境保全型農業をして、有機という名前の農産物を
継続的に、作っていこうとすると、値段が今の約2倍になるといいます。

それでも、安全安心を売り言葉に、地域環境や、公共の価値のために、
我慢して買ってほしいというような運動があちらこちらで
広がっています。

しかし考えてみると、家庭消費の全ての食品をそのような地域産の
環境農産物にして、貢献しようとすると、
単純に食費が今の2倍になります。10万円が20万円です。
いくらなんでも、そんなことは不可能です。生活できません。

ちょっとした贅沢としてなら、時々は可能でしょうけれど、
継続的に普段から、少しずつやっていけることではありません
逆に、物価の高い、すみにくい地域になってしまいます。

今は、農業以外の産業でも、環境保全に力をいれています
しかしながら、そちらは、価格を下げています。

この経済社会では価格は、重要です。

いま、日本の農産物は、先進国のなかでも大変高い
と言われています。

しかし、農業生産者の所得は低い。
このままだと、農業によい人材は集まらない状態から抜け出せません。
これは、致命傷です。官・学だけでは、どうしようもない。
本当に農業をしたいのなら、外国でやるという方向になるでしょう。

日本の単位面積当りの生産性は高いと言われているのになぜでしょう。
人件費、土地の価格、流通費、包装費、規模、償却費
いろいろ課題は多いと思います。

いっそのこと、半自給的に、
生産者の畑まで自分で収穫しに行けば、
流通費、小分け費、包装費はなくなるのでは、と思います。
地域の環境を守るために地域の生産品を買うのが良いならば、
近いのですからそれぐらいのことは出来ると思います。

そのことで、値段が、今の一般品の値段よりも安くなれば、
そのような活動は、加速度的に進むと思います。
また、畑に行くということで、教育面でも、いろいろな効果があるはずです。

なんにしても、高い価格のままでは、日本の、地域の農産物は
売れないと思います。そこに気づいてもらわないと。
20年後30年後の食料不足を、あてには出来ません。
このままでは、日本の農業はずっと斜陽産業から復帰できない
のではないでしょうか。


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